ツバメの便り ビデオ

マラケシュ(モロッコ)
– コウノトリの道 –

どっぷり浸かる…。 マラケシュの黄土色、お日様と暑さの中で過ごした時間を思い出すと、この言葉が浮かんでくる。コウノトリの町・マラケシュの、真っ白な「コウノトリの家 (Dar Bellarj)」の中心に「才ある母達」と呼ばれる地元女性達がいる。旧市街(メディナ)に住む彼女らは、伝統音楽の歌い手&パーカッショニストであり、彼女らと沢山の時間を過ごした。

「才ある母達」という呼び名だが、全員が母親というわけではない。このグループを運営する文化財団「Dar Bellarj (コウノトリの家)」 のディレクターであるマハ・エルマディによると、「もし『才ある女達』と名付けたら、まず女性の体を想像するだろうけど、それをしてほしくなかった。ここで強調されているのは何よりも母親の心、母親の精神であり、すべての女性がこの精神を知っているから母達と名付けた 」とのことだった。

9〜 11 月にかけて、「Les Montagnes Bleues/蒼い山」プロジェクトの一環としてアーティスト・イン・レジデンス(創作滞在)をするために、僕らはモロッコにやってきた。アンスティチュ・フランセのサポートにより Maison Denise Masson で大半を過ごし、レジデンスの主催者である L’Moutalâte のナダとアダムの勧めで、Dar Bellarj 財団とその「才ある母達」と一緒に音楽に取り組んだ。 モロッコでの活動は、僕の祖先の地にも関連していて、祖先との繋がりを取り戻したいという想いもあった。無形遺産の担い手たちと協力できることは、文化やその他諸々の境界の上で出会いを遂げる絶好の機会。この思いがけない出会いをくれたナダとアダムに大変感謝している。

Maison Denise Masson/ドゥニーズ・マソンの家

Hadra/ハドラ

「才ある母達」は、アラビア語で「存在」を意味する「ハドラ」という伝統歌を歌う。 女性的なスーフィー(イスラム教の神秘的な一派)の歌の中で共有された存在感は、強烈なエネルギーを持っている。

しかし、私達がここで話している存在とは何だろうか? ミュージシャンが演奏するもの、に対しての存在感だろうか? 内在する神の存在だろうか? おそらく両方だろう。

この「存在」という考えに木霊して、アルジェリア育ちでイタリア系フランス人のアーティスト、デルフィーヌ・ ヴァリとの会話を思い出す。マラケシュで出会った彼女も、「不可能な帰還」というテーマで創作滞在をしている最中だった。自分達のアラビアのルーツと、僕らに時々宿る「追放・流浪」の感覚について、コーヒーを片手に語ったのだが、その中で心に残る言葉がある。 モロッコのグナワ民族について触れ、スーフィズムとの関連性も踏まえて彼女が言ったのは、「彼らにとって『追放』とはまず第一に自分自身・『自己』の追放であり、音楽と舞いを通して『存在』に戻り、ある意味で現在を超越すること」ということだった。 シンプルな生き方に惹かれる話で、僕自身の音楽の生き方にも響くものがあった。なぜなら、飽くまで個人的な話だが、自分の歌のエネルギーはモロッコの祖先から受け継いでいる気がしていて、モロッコ側の家系と再び繋がる最善の方法は音楽なんだ、とモロッコに来る際に直感的に感じていたからだ。

「Beautiful Painted Arrow」というインディアン名であったジョセフ・ラエルの言葉を思い出した。彼は原住民達が「亀の島」と呼んだ北アメリカ大陸の出身で、著書「存在と振動」の中で、「本物の人間は聴く人だ」と言っている。

内面と外面に耳を傾けるこの能力から、謙虚さが生まれます。 真の聞き手は、欲望や執着によってもはや制限されません。 代わりに意識に敏感になります(中略)。 この耳を傾ける過程で、私達は私達を導く声を見つけます。 ここにインスピレーションが隠れています。

ここで「才ある母達」の歌を聴いてみてほしい。Dar Bellarj で彼女達に初めて会った時に歌ってくれた「Hadra/ハドラ」で、月のように美しい預言者の娘を想起させる一曲である。

ATELIERS/ワークショップ

どのようにワークショップを進め、「母達」の伝統音楽を曲作りに融合していくか、僕はずっと分からずにいて、刺激的・解放的な方法が見えてきたのは、開始直前だった。

それは、毎回ワークショップを各々の「内なる旅」から始める、という方法だった。目を閉じて、少なくとも15分間、僕の声で内なる旅への道案内をした。 まず自分自身に耳を傾け、次に自然の中の心地よい場所をイメージする。 そしてこの場所のエネルギー、水、空気、風、植物、静けさ、鳥のさえずり、光が、私達の内面の化学的性質、精神状態をどのように変えたか、時間をかけて感じ取る。 このようにして、すべての物事を貫くこの生命、僕らが繋がっているこの生き生きとした世界を、自分達に染み込ませていくのだ。

「内なる旅」を終えて、世界への更なる開放感と意識、内なる声への感受性を高めた後、母なる大地との繋がりをテーマに詩・文章を書いてもらった。そしてその詩をギター・ヴァイオリン・パーカッションの伴奏と共に、輪になって即興で歌った。曲作りのインスピレーションとなる珠玉を探すため、毎回ワークショップに同席・通訳をしてくれたアズィズ(Dar Bellarj財団の芸術責任者)の甚大なる協力のもと、書かれた詩を収集・選定した。

このプロジェクトでよくある事だが、善い意味で面食らう形で、明らかにこうなるべきだったというところにものごとは落ち着く。「内なる旅」を取り入れたワークショップの進行もそうだったし、創作滞在最後の公開プレゼンテーションでのイントロについても同様だった。一般の聴衆にもこの「内なる旅」に参加してもらったのだが、その後でDar Bellarje(コウノトリの家)に宿った静けさと心の開放感は、未だに思い出して感じることができる。毎回「内なる旅」から始めたワークショップ、内と外に耳を傾けること、詩を書いて即興で発表することが、ワークショップの輪の中でも、いのちの輪の中でも、我々のバランスを保ち励ましとなる羅針盤のような役割を持ったように感じた。

ワークショップの一部として洋子が日本語と日本文化入門を開き、あの有名な童謡「蛍来い」を皆で歌うことによってハーモニーの分かち合いをすることができた。L’MoutalâteがあるマラケシュのM’hamidエリアを歩いていたら、プレゼンテーションの時に一緒に「蛍来い」を歌った子供達が、一週間後にもちゃんと覚えていて僕に歌いかけてきたのにはびっくりした。https://lesmontagnesbleues.com/ja/hotaru-koi-3/

アーティスト・イン・レジデンスの間、いくつかのアイディアが芽を出し、二つのことが必要となった。

一つ目は、ダリジャ(モロッコのアラビア語)を含む一曲を作ること。その曲抜粋はこのリンクからご覧ください:https://lesmontagnesbleues.com/ja/une-seule-naissance-creation-a-marrakech-extrait-2/

二つ目は、母なる大地を賛美して「才ある母達」がワークショップの中で書いた詩を即興で歌う輪だ:

45日間はあっと言う間に過ぎてしまい、「才ある母達」の伝統をより深く融合できるコラボ創作をするにはまだ課題が残った。ということで、「Les Montagnes Bleues / 蒼い山」プロジェクトのモロッコ篇はまだ続くことになった。新しいアイディアも生まれてきているが、それについてはまたの機会に。