僕らは全て忘れなきゃいけない / 地平線も、夜も / 全てを埋める方法をちゃんと知っていれば / 見返りに全てを与えることができるだろう 別の人生という考えに傾く / 僕らの影を追うことなく/ 幸運に向かって歩む僕らにとって/ 沈黙は良い前兆なんだ この一切れのオレンジを味わってごらん / 太陽が無の怖さを知っていても / 夜が太陽の片側でも / 太陽は混ざってはいない 僕らの命は限られているから / 人生が僕らを愛する人達から遠ざけるから / 愛が欠けてしまうから / 記憶を取り戻すんだ 僕は愛する 僕らは こよなく愛する / 全ての景色を開き / 勇気を生み出してくれる / 苦くて濃厚な 野生のライラック・ワインを だけど ちからは いつも静かに 見ている / 生きることを拒否して彷徨う/…
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Une Seule Naissance/たったひとつの誕生 失われた一万年のための、たったひとつの誕生 / 時は止まり、一万の花を盗む / 大地で、碧空の中で、まだ息づく者達の / 想いの上に吹き散った花びら 羅針盤の針があるのは / 取り戻すため / 僕らを呼ぶ日々の意味を、愛が果てる前の 自分の姿を… / 見捨てられた果実の 香りをまた嗅ぐため / 立ち昇る優しい香りは 僕らを丸ごと抱きしめる 喉の渇きは、無駄な時間の流れを止める /黒き油と角を取り払い、鳥の描くゆるやかな円を / 夢と水の精の古(いにしえ)のことばを 追いかけて / 再び 均衡を取り戻すだろう 生きとし生けるものを / 荷車を引くロバを / 愛と、新しい時代を築く約束を / 忘れることなく 開いた窓の外の 雨の雫 / 歌いに来る雨音を 聴く /…
昨年の10月、私はピレネー山脈の麓に位置し、偉大な歌手ディック・アネガーンが経営する口承芸術に特化した場所、「L’ÉPICENTRE」で作詞活動を行っていました。 ジェローム・ボロックのマイクの前で、このプロジェクトについて少しお伝えできるよい機会でした。( YouTubeの自動翻訳をONにすれば、多少不自然であるかもしれませんが英語や日本語の字幕を見ることができます。…
どっぷり浸かる…。 マラケシュの黄土色、お日様と暑さの中で過ごした時間を思い出すと、この言葉が浮かんでくる。コウノトリの町・マラケシュの、真っ白な「コウノトリの家 (Dar Bellarj)」の中心に「才ある母達」と呼ばれる地元女性達がいる。旧市街(メディナ)に住む彼女らは、伝統音楽の歌い手&パーカッショニストであり、彼女らと沢山の時間を過ごした。 「才ある母達」という呼び名だが、全員が母親というわけではない。このグループを運営する文化財団「Dar Bellarj (コウノトリの家)」 のディレクターであるマハ・エルマディによると、「もし『才ある女達』と名付けたら、まず女性の体を想像するだろうけど、それをしてほしくなかった。ここで強調されているのは何よりも母親の心、母親の精神であり、すべての女性がこの精神を知っているから母達と名付けた 」とのことだった。 9〜 11 月にかけて、「Les Montagnes Bleues/蒼い山」プロジェクトの一環としてアーティスト・イン・レジデンス(創作滞在)をするために、僕らはモロッコにやってきた。アンスティチュ・フランセのサポートにより Maison Denise Masson で大半を過ごし、レジデンスの主催者である L’Moutalâte のナダとアダムの勧めで、Dar Bellarj 財団とその「才ある母達」と一緒に音楽に取り組んだ。 モロッコでの活動は、僕の祖先の地にも関連していて、祖先との繋がりを取り戻したいという想いもあった。無形遺産の担い手たちと協力できることは、文化やその他諸々の境界の上で出会いを遂げる絶好の機会。この思いがけない出会いをくれたナダとアダムに大変感謝している。 Maison Denise Masson/ドゥニーズ・マソンの家 Hadra/ハドラ 「才ある母達」は、アラビア語で「存在」を意味する「ハドラ」という伝統歌を歌う。 女性的なスーフィー(イスラム教の神秘的な一派)の歌の中で共有された存在感は、強烈なエネルギーを持っている。 しかし、私達がここで話している存在とは何だろうか? ミュージシャンが演奏するもの、に対しての存在感だろうか? 内在する神の存在だろうか? おそらく両方だろう。 この「存在」という考えに木霊して、アルジェリア育ちでイタリア系フランス人のアーティスト、デルフィーヌ・ ヴァリとの会話を思い出す。マラケシュで出会った彼女も、「不可能な帰還」というテーマで創作滞在をしている最中だった。自分達のアラビアのルーツと、僕らに時々宿る「追放・流浪」の感覚について、コーヒーを片手に語ったのだが、その中で心に残る言葉がある。 モロッコのグナワ民族について触れ、スーフィズムとの関連性も踏まえて彼女が言ったのは、「彼らにとって『追放』とはまず第一に自分自身・『自己』の追放であり、音楽と舞いを通して『存在』に戻り、ある意味で現在を超越すること」ということだった。 シンプルな生き方に惹かれる話で、僕自身の音楽の生き方にも響くものがあった。なぜなら、飽くまで個人的な話だが、自分の歌のエネルギーはモロッコの祖先から受け継いでいる気がしていて、モロッコ側の家系と再び繋がる最善の方法は音楽なんだ、とモロッコに来る際に直感的に感じていたからだ。 「Beautiful Painted…
モロッコ、マラケシュ市にある「Maison Denise Masson」でアーティスト・イン・レジデンスをした際に作曲し、Dar Bellarj財団の「才ある母達」に参加してもらった曲「Une Seule Naissance/たったひとつの誕生」を、短編ビデオで紹介します。2022年10月、この「Maison Denise Masson」でプロジェクト・創作のプレゼンテーションを行った際に撮影したものです。 失われた一万年のための、たったひとつの誕生時は止まり、一万の花を盗む大地で、碧空の中で、まだ息づく者達の想いの上に吹き散った花びら 羅針盤の針があるのは取り戻すため僕らを呼ぶ日々の意味を、愛が果てる前の 自分の姿を…見捨てられた果実の 香りをまた嗅ぐため立ち昇る優しい香りは 僕らを丸ごと抱きしめる…
ここには、ダール・ベラージの「Les Mamans Douées」とのいくつかの執筆と内観のワークショップの成果が収められています。 マラケシュの旧市街出身のこれらの女性たちは、スーフィー教徒の人気ミュージシャンであり、「ハドラ」(存在感)と呼ばれる歌唱スタイルを実践しています。 このビデオは、これらのワークショップの証言として撮影されました。 ここで朗読される詩は母なる地球と生命を讃えます。…
兵庫県豊岡市のカフェ(&溜まり場・勉強場・ゆるい逃げ場?)「くもり空会館」。ここでのライヴの際に、ピアニストで店主の由紀さんと音楽を共有した後、もうちょっと先までやってみようか、ということになりました。それは5月、まだ春の気配が残っていた頃。その日の朝は、尾道から出発。ビデオ撮影の為に、何時間も車を走らせました。疲れは勿論あったけれど、音楽をシェアしたい気持ちもあったのです!これは僕が初めてピアノのアレンジメントを作曲した曲です。由紀さん、演奏してくれて、どうもありがとうございました!由紀さんに共演してもらったビデオがもう一本あるので、そちらも後日お楽しみに。…
新E.P「HIRONDELLE / ツバメ」がリリースされました!そしてこの新E.Pと同タイトルの曲のMV、今回「参加型」で制作したビデオを公開します。このビデオには、フランス・日本・イラン・ウクライナ・モロッコ・アルゼンチンから、友達ツバメたちが参加してくれています!僕のMV参加の呼びかけに応えてビデオを送ってくれた友人達、そして旅の途中でビデオを撮らせてもらった友達にも大感謝。皆さんにも喜んでもらえたら嬉しいです。…
その日、僕らはお日様の下で撮影することを期待して来ていたけど、島はかなり冷えていた。お日様はちゃんとそこにいた。雲の後ろに、だけど。ということで、携帯電話とミニ・スタジオ機材で撮影した、この新曲のソロ・ヴァージョンをお届けします。波、鳥たち、風の伴奏付きで、シンプルなコードが繰り返される、旅人のバラード。僕らの人生にエコーする渡り鳥のストーリーを、島の映像と共に。皆さんに気に入ってもらえたら嬉しいです。もうじきお届けするE.P(ミニアルバム)「Hirondelle/ツバメ」にもこの曲が収録されますが、そちらはアレンジの異なるバージョンになります!お楽しみに! 渡り鳥は、闇夜を見渡す瞳を持つ。隠れた道も、逆光でも、見渡せる瞳。世界地図は絶えず描かれ、新たな広がりを形作ると、渡り鳥たちは知っているのさ。 そこは、野生の白鳥が長い冬を過ごす場所。 僕らも時には過ごしてみたいと、焦がれる場所。 だけど心の羅針盤がまず指し示すのは、空気を清める春の香りを愛すること。谷間を見下ろす崖にぶら下がって、重みのない巣を、暢気に作ってしまうこと。 毎年帰ってくる、毎年同じ 儚い花々の 紅い空に護られて。 こうして蒼空を通り去る鳴き声は、僕らを突き抜ける。渡り鳥みたいに、君自身の眼で見てごらん。僕らを引き寄せる水平線を、誤魔化すことはできない。僕らの胸の内にあるように、この蒼が、空にある。 そしてもし不安が、雲が、また覆ってきたとしても、光の島々は、必ず見つかるさ。 地下水の流れと同じルートで、渡り鳥は、失われる愛を導く。危ぶんだ言葉、まだ唇の先で震える言葉。それを伝えきれなかった者達を、導いてゆく。 時を渡り、矢を放つ。 鳥たちはいつも、今ある心に帰ってくる。 まだ籠の中にいる鳥でさえ、北国の森のゆるやかな目覚めを、野生の大きな白鳥の生き生きとした希望を、若い燕たちの笑い声さえも、感じ取れるんだ。 それは大地に脈打つ春の鼓動が、 この崩壊する世界の中で、下からさえ脈打つから。 暖かさをもたらす春、日に日に穏やかさを増す太陽、口元の笑顔と、空の蒼のような、てっぺんの愛。蒼の真ん中を、渡り鳥は、飛んでいく。 (翻訳:武田洋子)…
生い茂る樹木霊する年輪に宿るのは柔らかな白太(シラタ)の襞(ヒダ)に形を灯す光たちと響き合う歳月の記憶。 年輪よ、僕らのイノチと同じだね。愛の蜜は崖っぷちまで溢れ出しその輪は常に拡がってゆく。 夜を舞う蝶々は、その羽を焦がす。永遠の彼方静かな眠りの彼方愛の彼方にでさえ世界が花咲くことを願って。 年輪に宿る蝶々たち、光を忘れることはない。 奈良より 奈良でアーティスト・イン・レジデンスができること、その滞在先が書家の友人・桃蹊 (とうけい)さんが営む旅館であることは、この冒険的な[蒼い山]プロジェクトにとってかけがえのない幸運でした。この宿には「ご縁」の意味が感じらます。ここでは、人や物事を追いかけない。つまり育むべきご縁は育み、そうでないものはそっとしておく術を学ぶ、そんなシンプルなこと。仏の地·奈良の中心地にあり、「全てが因果関係にある」というビジョンが、桃蹊さんには浸透しているように思います。 感性が鋭い人であれば、この旅館に着くなり感じ取れるでしょう。場所に染み込まれた遠い記憶のような、空気に漂うような、二つの香りを…。 それは「木」と「墨」の香りです。 「木」はこの地域の生活の中心にあります。家やお寺を建てるための木、彫刻にする木。そして「墨」は、日常のもの、必要不可欠な呼吸のようなもの。木々や森を愛し、インクの細い線で歌(シャンソン)を書き綴る僕。尚美さんと僕を繋ぐのは、これらの要素なのです。だから、奈良に来て「木」をテーマに曲を「書く」べきた、という明快なビジョンがありました。 ただ創作には随分苦労し、曲が聴こえてくるよう拝んでいました。そして奈良在住の才あるパーカッショニスト、スティーブ・エトウさんとの撮影予定日の前日…、曲は降りてきたのです。目の前に現れたイメージの力と、簡素で深い音楽性に捉えられ、 一気に、ほんの数分で書き上げました。迷うことなく翌日にライヴ撮影。まだ夜が暗い、蝋燭の灯が夢を照らしていたような時代に、遠い時空・異世界へダイブする。この曲はそんな感じのものです。 その約一ヶ月前、奈良市に近い田舎の、真っ暗な夜道で車を停めたところ、一匹の「papillon de nuit (夜の蝶)」、巨大で真っ白な蛾を、一瞬ですが眼にしました。この曲に息を吹き込んだのは、この夜の蝶でしょう。 この曲は、桃蹊さんのライヴ・ドローイングと同時に録音・撮影することにしました。「杜 (もり)」という漢字は、神社を囲む木立や御神木、神の居森、を指します。 創作旅行記プロジェクト [Les Montagnes Bleues/蒼い山]…