兵庫県豊岡市のカフェ(&溜まり場・勉強場・ゆるい逃げ場?)「くもり空会館」。ここでのライヴの際に、ピアニストで店主の由紀さんと音楽を共有した後、もうちょっと先までやってみようか、ということになりました。それは5月、まだ春の気配が残っていた頃。その日の朝は、尾道から出発。ビデオ撮影の為に、何時間も車を走らせました。疲れは勿論あったけれど、音楽をシェアしたい気持ちもあったのです!これは僕が初めてピアノのアレンジメントを作曲した曲です。由紀さん、演奏してくれて、どうもありがとうございました!由紀さんに共演してもらったビデオがもう一本あるので、そちらも後日お楽しみに。…
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新E.P「HIRONDELLE / ツバメ」がリリースされました!そしてこの新E.Pと同タイトルの曲のMV、今回「参加型」で制作したビデオを公開します。このビデオには、フランス・日本・イラン・ウクライナ・モロッコ・アルゼンチンから、友達ツバメたちが参加してくれています!僕のMV参加の呼びかけに応えてビデオを送ってくれた友人達、そして旅の途中でビデオを撮らせてもらった友達にも大感謝。皆さんにも喜んでもらえたら嬉しいです。…
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遂に4曲収録の新E.P「HIRONDELLE / ツバメ」がデジタル・リリースされました。[Les Montagnes Bleues / 蒼い山]プロジェクトの一環として、主にブルゴーニュ地方で作詞作曲・録音されたものです。Spotifyなどの各ストリーミングサービスよりお聴きいただけます。 Spotify : https://open.spotify.com/album/6e3LZWyImrJC6KplXiRCoh Bandcamp : https://ludovicba.bandcamp.com/album/hirondelle LUDOVIC : vocals, guitars, keyboard, composition, arrangements.YOKO TAKEDA : violin, vocalsYOANN PIOVOSO : piano, RhodesDELPHINE BENHAMOU : harpEMMA ABRAHAM…
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音楽の島。 島、それは息づくポエム。 僕がここに来るのは二度目だが、自然と浮かぶこの言葉。何故だかは分かっている。この島は、別世界、別時間だからだ。ここでは必要最小限の空間の中で、全要素が響き合っている。まるでポエム(詩)の中にいるように。そして風が吹けば、幾多の道具やモノが、チリンカラン、ガラガラと斉唱し、島を包み込む和やかな旋律を生み出す。 まるで蜃気楼のように琵琶湖に姿を見せる沖島。このミュージカルな島が浮かぶ湖の名も、楽器の琵琶の形に由来する。琵琶は、詩・音楽の女神であり、川・海・流れるもの全ての守護神である弁財天の楽器である。沖島の高台にも、弁天様が祀られている。 同じく琵琶に名前が由来する果物の枇杷も、沖島には多く見られる。全て不思議と繋がっているようだ。 400万年の昔から存在する琵琶湖は、世界最古の湖の一つ。そして日本の幾千もの島々のうち400余りの有人島の中でも、沖島は琵琶湖唯一の有人島(人口約280人)であり、日本唯一の淡水に浮かぶ有人島なのだ。 この島では、恵み深き大地との昔からの繋がり、それを守る必要性を、他地域よりも大切にしているのが分かる。沖島は漁師の島であり、多くの家で家庭菜園をしている。だが、大半の人が島の産物で自給する、このコミュニティーにとっての未来とは何なのだろうか?この島を知るとそんな疑問を感じる。住人の過半数は高齢者で、数少ない若者も水平線の向こうに引き寄せられているようだ。それもそのはず、島自体は小さいが、見渡す限り水平線なのだから…! それでも、この島に暮らせる幸運を感じ、島の自活に熱意を燃やす人もいる。島が息づいていくことを願い、未来を想像する人々。その一人は僕らの友人、奥村ひとみさん。島出身の彼女は、湖畔の光が差し込む灯台のようなカフェ&ギャラリー「汀の精(みずのせい)」を経営している。この場所は、ほぼ時を超えたように世の果てにそっと置かれ、月の美しさと湖面に映るその光に酔いしれるには最高の避難小屋だ。ここでは、ひとみさん自身の天然繊維オリジナル製品、地域のアーティストや写真家の作品を展示すると共に、僕らのようなミュージシャンを迎えコンサートが開かれることもある。寒い時には薪ストーブを囲んで暖をとることができ、その炎の姿が空気中に反映していくように、体だけでなく魂も温めてくれる。沖島で創作スペースを提供してくれたのはひとみさんだ。彼女とその他数人のメンバーで、漁業以外からなる特産品の開発に現在とりかかっている。また彼女らは島のその他の問題、特に廃棄物やゴミ分別の問題に取り組み、解決策を模索している。ただ、平均年齢が70歳を超える沖島で、お年寄り達への尊敬が第一である中、物事を変えていくのは容易ではない。 「汀の精(みずのせい)」 Vision / ヴィジョン 洋子と沖島に到着したのは満月の日で、島ではなんと伊勢大神楽の「獅子舞」を迎えていた。神楽師一行が各家庭を訪れ、玄関口、それから家の中で、剣の獅子舞を奉納する。ただのお祭り騒ぎではない。元来、伊勢大神宮に参拝できない者の代わりお札を配布してまわる神楽師たちは、各家々のお祓いをし、豊穣を祈る。沖島に住む人達が大切にしている、特別な敬意を払って迎える時間なのだ、と僕は感じた。 偶然は存在しないから、満月の日に到着してこのような儀式に立ち会えたことの意味が僕の中で響いた。僕らはここに創作レジダンスをしに来たのは、母なる大地に耳を傾けるプロジェクト【蒼い山】のため。そしたらなんと僕らは、見えざるものと繋がる太古昔のこの儀式によって呼び起こされるかのように、母なる大地がささやく大事な記憶の立会人となったのだ。この言葉を書き綴っている今、採られた魚の犠牲に感謝する、沖島港前の石碑「魚介類供養塔」を思い返している。 僕らがコンサートを開いた、同市内の山頂にある「観音正寺」というお寺にも、創設にまつわる伝説で魚の犠牲について似たようなエピソードがある。この素晴らしい、輝きに溢れるお寺と、白檀の大木で作られた観音像については別ページで綴っているので、読んでみてほしい。http://lesmontagnesbleues.com/au-temple-des-sirenes/ たっぷりご馳走をいただいたこの沖島での一日、木が生い茂り光が差し込む山の頂きを散策した後に、夜が来て、月が湖を照らし、営業終了後のひとみさんのカフェに僕はいそいそと避難してこの「Sur l’île / 島の上」という曲を書いた。近々音源をアップするが、その前に歌詞の一部を紹介したい。 沖島でのコンサートの様子 島の上に、朝を切り開く彼らはやってきた ちりんからん、いくつもの波、幾千もの夢 それは満月の日、彼らは澄んだ剣と銀を持ち、 僕らを湖へと引き寄せる網を、全て切り裂く…
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その日、僕らはお日様の下で撮影することを期待して来ていたけど、島はかなり冷えていた。お日様はちゃんとそこにいた。雲の後ろに、だけど。ということで、携帯電話とミニ・スタジオ機材で撮影した、この新曲のソロ・ヴァージョンをお届けします。波、鳥たち、風の伴奏付きで、シンプルなコードが繰り返される、旅人のバラード。僕らの人生にエコーする渡り鳥のストーリーを、島の映像と共に。皆さんに気に入ってもらえたら嬉しいです。もうじきお届けするE.P(ミニアルバム)「Hirondelle/ツバメ」にもこの曲が収録されますが、そちらはアレンジの異なるバージョンになります!お楽しみに! 渡り鳥は、闇夜を見渡す瞳を持つ。隠れた道も、逆光でも、見渡せる瞳。世界地図は絶えず描かれ、新たな広がりを形作ると、渡り鳥たちは知っているのさ。 そこは、野生の白鳥が長い冬を過ごす場所。 僕らも時には過ごしてみたいと、焦がれる場所。 だけど心の羅針盤がまず指し示すのは、空気を清める春の香りを愛すること。谷間を見下ろす崖にぶら下がって、重みのない巣を、暢気に作ってしまうこと。 毎年帰ってくる、毎年同じ 儚い花々の 紅い空に護られて。 こうして蒼空を通り去る鳴き声は、僕らを突き抜ける。渡り鳥みたいに、君自身の眼で見てごらん。僕らを引き寄せる水平線を、誤魔化すことはできない。僕らの胸の内にあるように、この蒼が、空にある。 そしてもし不安が、雲が、また覆ってきたとしても、光の島々は、必ず見つかるさ。 地下水の流れと同じルートで、渡り鳥は、失われる愛を導く。危ぶんだ言葉、まだ唇の先で震える言葉。それを伝えきれなかった者達を、導いてゆく。 時を渡り、矢を放つ。 鳥たちはいつも、今ある心に帰ってくる。 まだ籠の中にいる鳥でさえ、北国の森のゆるやかな目覚めを、野生の大きな白鳥の生き生きとした希望を、若い燕たちの笑い声さえも、感じ取れるんだ。 それは大地に脈打つ春の鼓動が、 この崩壊する世界の中で、下からさえ脈打つから。 暖かさをもたらす春、日に日に穏やかさを増す太陽、口元の笑顔と、空の蒼のような、てっぺんの愛。蒼の真ん中を、渡り鳥は、飛んでいく。 (翻訳:武田洋子)…
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生い茂る樹木霊する年輪に宿るのは柔らかな白太(シラタ)の襞(ヒダ)に形を灯す光たちと響き合う歳月の記憶。 年輪よ、僕らのイノチと同じだね。愛の蜜は崖っぷちまで溢れ出しその輪は常に拡がってゆく。 夜を舞う蝶々は、その羽を焦がす。永遠の彼方静かな眠りの彼方愛の彼方にでさえ世界が花咲くことを願って。 年輪に宿る蝶々たち、光を忘れることはない。 奈良より 奈良でアーティスト・イン・レジデンスができること、その滞在先が書家の友人・桃蹊 (とうけい)さんが営む旅館であることは、この冒険的な[蒼い山]プロジェクトにとってかけがえのない幸運でした。この宿には「ご縁」の意味が感じらます。ここでは、人や物事を追いかけない。つまり育むべきご縁は育み、そうでないものはそっとしておく術を学ぶ、そんなシンプルなこと。仏の地·奈良の中心地にあり、「全てが因果関係にある」というビジョンが、桃蹊さんには浸透しているように思います。 感性が鋭い人であれば、この旅館に着くなり感じ取れるでしょう。場所に染み込まれた遠い記憶のような、空気に漂うような、二つの香りを…。 それは「木」と「墨」の香りです。 「木」はこの地域の生活の中心にあります。家やお寺を建てるための木、彫刻にする木。そして「墨」は、日常のもの、必要不可欠な呼吸のようなもの。木々や森を愛し、インクの細い線で歌(シャンソン)を書き綴る僕。尚美さんと僕を繋ぐのは、これらの要素なのです。だから、奈良に来て「木」をテーマに曲を「書く」べきた、という明快なビジョンがありました。 ただ創作には随分苦労し、曲が聴こえてくるよう拝んでいました。そして奈良在住の才あるパーカッショニスト、スティーブ・エトウさんとの撮影予定日の前日…、曲は降りてきたのです。目の前に現れたイメージの力と、簡素で深い音楽性に捉えられ、 一気に、ほんの数分で書き上げました。迷うことなく翌日にライヴ撮影。まだ夜が暗い、蝋燭の灯が夢を照らしていたような時代に、遠い時空・異世界へダイブする。この曲はそんな感じのものです。 その約一ヶ月前、奈良市に近い田舎の、真っ暗な夜道で車を停めたところ、一匹の「papillon de nuit (夜の蝶)」、巨大で真っ白な蛾を、一瞬ですが眼にしました。この曲に息を吹き込んだのは、この夜の蝶でしょう。 この曲は、桃蹊さんのライヴ・ドローイングと同時に録音・撮影することにしました。「杜 (もり)」という漢字は、神社を囲む木立や御神木、神の居森、を指します。 創作旅行記プロジェクト [Les Montagnes Bleues/蒼い山]…
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優しい鹿たちの都、奈良。木々の下を穏やかに散歩できることも、ブルゴーニュの片田舎から出てきた僕らには嬉しいもの。この奈良で、おもてなし、楽しむこと、両方の心得をもつ場所があります。「旅館 松前」です。書や狂言の体験やお稽古、ヨガ教室も開かれているこの旅館は、コロナ到来後ゆっくりと転換期を迎えています。将来アート・レジデンシーになる可能性を秘めているこの場所で、僕らは滞在アーティスト第一号となりました。 この旅館の女将であり書家である、桃蹊こと柳井尚美さん。前進・変化を恐れない心を持つ彼女にとって、物事が柔軟に行くべき方向に進むことを、僕らも心から願っています。そして、長い滞在中にお世話になったスーパー番頭の不破さん(僕らは愛を込めて「フワリン」と呼びます)。来客が薄れた奈良で、本領が発揮できない彼の姿を目にするのは正直切ない気持ちでした。不破さんは、奈良の風景や鹿を撮ったビデオもYoutubeで配信していて、新曲「蝶と白太」をこの旅館で撮影した時に急遽カメラマンとして協力してくれました。彼も、もしやこれからはアーティストを撮ることが増えるのではないかと期待しています。 奈良でのビデオ・セッションですが、クラウドファンディングのリターンとして贈呈するために、桃蹊さんが二作品を書くことになっていました。明暗のトーンが際立った「蝶と白太」の次は、ちょっと「おふざけ」をしようということに。最初にあったテーマ「年輪」に加え、「峯」をイメージして即興しました。 桃蹊:書/リュドヴィック・ベー・アー:歌/武田洋子:ヴァイオリン/スティーヴ・エトウ:パーカッション…
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渡り鳥の駆け込み寺となり、まだ魔法のコンサートが開ける夢のような寺院が、【蒼い山】の旅路にはあるのです。それは「観音正寺」。その白檀の香り、琵琶湖へと広がる視界、遠くに見える山々…。このご時世に、こんなに素敵な場所で演奏できるとは、何たる幸運! いや、運ではなく、全てを繋ぐ「網」のような「ご縁」なのでしょう。「目を見開けば、網のつなぎ目の善し悪しのように、善いご縁も、悪いご縁もあるのが見える。善い網を保つ為には補修していかなければならない。」と、ご住職が仰っていました。この網の観念、コミュニティーの繋がり、(無意識でも)各々が役割を担うことが、この地域の人達に根付いている。それを目にするのは嬉しいことでした。なので、【蒼い山】というプロジェクト名を聞いて、このお寺を紹介してくださった近江八幡市長に心より感謝します!そして滋賀県内でのプロジェクト応援コンサートが良い時間となるよう、動き回ってくれたボランティア・スタッフの皆様、フットワークの軽いご住職、ご縁繋ぎのマジシャン優子さん、琵琶湖の明るい人魚・ひとみさん(沖島「汀の精」)、「コルミオ」市田さん、ピアニスト央記さん、改めてどうもありがとうございました!!.ところで、網と人魚の話と言えば、「観音正寺」は聖徳太子が人魚のために開基した寺院、と言われています。湖の淵を彷徨っていた人魚は、「前世で漁師だった時に必要以上に魚を殺生した為に、このような姿になってしまった」と語り、成仏できるよう聖徳大使に懇願しました。そこで聖徳大使は千手観音の像を刻み、堂塔を建立したとされ、日本唯一の人魚伝説が残る寺院として受け継がれているのだそうです。曲作りの旅プロジェクト【蒼い山】へのご支援クラウドファンディングは3月31日まで!!プロジェクトから生まれるアルバム等がご支援のお返しとなります。https://motion-gallery.net/projects/lesmontagnesbleues…
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こちらは「沖島」で撮った写真です。日本で唯一人が暮らしている湖上の島、力強く広大な琵琶湖に浮かぶ「沖島」に今週末到着し、武田洋子と共に数日間、創作のため滞在しています。島でギャラリー&カフェ「汀の精(みずのせい)」を営む奥村ひとみさん、近江八幡市市長など、この方達の存在なくしては語れない[蒼い山]プロジェクトのサポーターの皆様に迎えて頂き、感謝の限りです。ということで、プロジェクトが本格的に始動しました!水に浮かぶ満月の美しい光、朝から一日中家々を清めて回る獅子舞など、プロジェクトを進行するためのコンディションとご縁を導いていただいた神々に「メルスィ!」と伝えたいです。この島で書いたばかりの新曲を含め、これから創作の様子を、このブログでこれから皆さんにシェアしていきます。皆さんのご支援があってこそ叶えられる創作の旅です。是非、資金調達クラウドファンディングの下記リンクよりご支援をお願い致します!!https://motion-gallery.net/projects/lesmontagnesbleues https://motion-gallery.net/projects/lesmontagnesbleues…
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さて、僕らの冒険の旅の始まりです。 「音楽を軸とした旅行記」のようなものをシェアしたい…というアイディアを長年温めていましたが、これが徐々にアルバム制作プロジェクトへと進化しました。 その経緯は3年ほど前、九州の田舎で⼩さなローカル電⾞に揺られていた時のこと。⾞窓の枠に溢れる光の先で、木が茂る⼭々が蒼いシルエットを描いていくのが見えました。その時、僕の頭の中で、ある言葉がはっきりと響いたのです。 「レ・モンターニュ・ブルー、蒼い⼭…」 その時は【蒼い山】という名の曲を書きたいと思いました。森・霧・水・空に舞う雲を語るような、自然の中で感じられる不思議で優しい癒しの力を描くような、その味わいを再現するような、そんな曲を書きたいと…。しかし曲作りは未完成のまま【蒼い山】の言葉だけが残り、水・木々・山・鳥・花に耳を傾け、自然とそこに住むいのちに寄り添った関係の中で曲作りをする、アルバム制作のプロジェクト・タイトルとなったのです。 旅先でよく新曲を作り、毎日のように自然の中にいてインスピレーションを受けている僕にとって、このプロジェクトは分身のようなもの。コロナ禍のこの奇異なご時世の中で、自然との繋がりを結び直そうとする試みが生まれたことも、もちろん偶然ではありません。 よって、このプロジェクトは僕の今までの曲作りの延長線上にあります。形が多少違うのは、数カ国で創作レジダンス(滞在)をし、(中には自然と強い繋がりを持っている人もいる)友人アーティスト達とのコラボレーションを提案することです。音楽コラボを中心に、プロジェクトを彩る美術系アーティストとのコラボも予定しています。その様子はこれからこのサイトでご紹介していきます。 何が生れ、何が残るのかは、まだ未知の世界。Dick Annegarnが「歌(シャンソン)とは漢詩の如く、完全なる最小の形だ」と言っていましたが、全く同意見の僕は、この「完全なる最小」のためには妥協はない、と思っています。兎にも角にも、このサイトやSNSで創作の旅の過程を、アルバムではそれ以外も、皆さんにシェアしていきます。 まずは今春、今までに書いた曲でお気に入りの4曲を挿入したE.P(ミニアルバム)「Hirondelle/ツバメ」を、アルバムに先駆けてデジタル・リリースします。また、最近書いた曲や、長い間引き出しにしまったままの作りかけの曲などもご紹介していくつもりです。 そしてこのプロジェクトは、自粛ばかりの一年を経た今の新軌道。今だからこそ、皆さんと再び繋がりたいという願い、シェアしながら善き種を撒く志で旅しようという願いを、強く感じています。アルバムの創作過程、旅路を描いたポエティック・音楽的・視覚的な地図、ポートレートなど、沈黙の中で様々なビジョンを育ててきました。 プロジェクト大半は武田洋子が主要パートナーとして同伴します。ご存じの方も多いと思いますが、長い間僕と共演しているヴァイオリニストで、日本でのオーガナイザーとしても重要な人です。 さて、プロジェクト・タイトルの[レ・モンターニュ・ブルー/蒼い山]に戻りますが、特に自然の事に関して「ブルー」よりも「グリーン」ととれる、「青」や「蒼」の日本語表現は正に適切です。この言葉を発する時、頭に浮かぶことの一つは、道元禅師の「山水経」。その中に「青山」という言葉があり、宇宙の真なる法を説いています。この文章については後日、親しき友人である禅僧のお話も伺いつつ紹介するつもりです。 「ブルー」はもちろん空の色、生き生きとした希望の色でもあります。 さらに「ブルース」の「ブルー」。ブルースは単なる音楽ジャンルではなく、魂の歌であり、愛の嘆きです。「ブルー」は、各地を奏で歩くトルバドゥール(吟遊詩人)やフォーク・シンガーの色でもあると、少なくとも僕は思っています。…