Une Seule Naissance/たったひとつの誕生
失われた一万年のための、たったひとつの誕生 / 時は止まり、一万の花を盗む / 大地で、碧空の中で、まだ息づく者達の / 想いの上に吹き散った花びら
羅針盤の針があるのは / 取り戻すため / 僕らを呼ぶ日々の意味を、愛が果てる前の 自分の姿を… / 見捨てられた果実の 香りをまた嗅ぐため / 立ち昇る優しい香りは 僕らを丸ごと抱きしめる
喉の渇きは、無駄な時間の流れを止める /黒き油と角を取り払い、鳥の描くゆるやかな円を / 夢と水の精の古(いにしえ)のことばを 追いかけて / 再び 均衡を取り戻すだろう
生きとし生けるものを / 荷車を引くロバを / 愛と、新しい時代を築く約束を / 忘れることなく
開いた窓の外の 雨の雫 / 歌いに来る雨音を 聴く / それは僕らに呼びかける いのち の / 招待の歌
“The love that exudes from the smell of the earth”
Noujoumでのコラボレーション
「大地の香りを放つ愛」、友人のアズィズが筆にした言葉を、こう訳すことができる。この書のイメージが、この曲と共鳴するところがとても気に入っている。
「日の出づる国」日本と、「日の没する国*」モロッコ。(*マグレブ/北アフリカ3国を指す)
「Les Montagnes Bleues/蒼い山」プロジェクトの一環として、この2国間を行き来しながら、クリエーションがどのように共鳴するのかを聞いてみたいと思っていた。そもそも「蒼い山」は、母なる大地、そしてその地の精霊たちとの繋がりを大事にしたいというプロジェクトであり、その意図によってこの二つの国はリンクしている。僕は、曲が生まれた地で、曲の雰囲気と密接に結びついている地で、これがどのように響くか聞きたかったのだ。また、アラビア書道が日本の書道と対比して、あるいは鏡に映るようにして、どのように展開できるのかを知りたかったし、音楽性をもたらすモロッコのダンサーの身体も見てみたいと思っていた。
このコラボレーションには、ダンサーのImane Elkabli(イマネ・エルカブリ)、アラビア書家のAziz Bouyabrine(アジズ・ブヤブリン)、そしてビデオ撮影にはDounia Ait El Moumen(ドゥニア・アイト・エル・ムーメン)を、と直感的に思った。彼らは僕が求めていた資質を備えているように見えたからだ。シンプルさ、想い、才能、そして繊細で目に見えない、脆きものたちの世界を聴く力を、彼らは備えていた。
「料理人の料理」を好まぬ、という禅僧・良寛の言葉を借りれば、僕も同じくらい「詩人の詩」を好んでいない。皮肉に聞こえるかもしれないが、そうではない。僕がことばの中に何かを感じる、そしてそこに何が聞こえるかはあなた自身で感じてください、ということなのだ。 僕はこのスピリットに共鳴するアーティストと一緒に創作するのが好きだ。
「Une Seule Naissance/たったひとつの誕生」は、曲調において、東洋、モロッコ、そしてこの曲を書いた街のマラケシュと、ごく自然に結びついている。おそらくこの色は、アジズのカリグラフィー(書)の黄土色に、あるいは撮影日にイマネが着ていた赤色にも似ているかもしれない。心安らぐ温かい砂の黄土色、生命力あふれる花の赤だ。コントラストに満ちたマラケシュについて僕が抱いた感情、それと共鳴するこの曲。混沌とした世界の中で湧き上がる尊く脆い命、それを大切にする意識、生きとし生けるものが循環の中にいるという再認識について、この曲は触れている。 水への渇望があることによって、人がまた澄んだ源流に耳を傾けるだろう、と歌う曲である。